大人が何かを学ぶ事について、ネットなどでよく聞かれる言葉に「意識高い系」というモノがあります。
なんとなくこの言葉に、大人が真剣になにかを勉強する事に対して小馬鹿にしているニュアンスがあると思います。
まず僕の考えは、大人が真剣になにかを学ぶ事はとてもいい、人に誇れる事だと思っています。
逆に大人でお金が子供よりも自由に使えるのに好きな事を真剣に学んでいないなんて、ダメとは言わないけど焦るべき事だと思っています。
僕は3段階あると思っていて、
意識の低い人
↓
意識高い系
↓
学びの鬼
この3段階です。
まず当たり前ですが、「意識の低い人」がギター上級者、レッスンプロ、プロミュージシャンの世界に到達する事は絶対にありません。
ただこの意識の低い人が学んでいる方に対して、あいつは意識高い系と小馬鹿にしがちだと思います。
僕も昔教則本でギターを練習していたら、一緒にバンドをやっていたボーカルの先輩にバカにされた事があります。
「本で音楽を学ぶなんてダサいぜ」みたいな感じだと思います。
その時は何も言い返せなかったんですが今の僕なら「上達のための手段を選んでるなんてダサいぜ」と言い返してやるんですが笑
過去にタイムスリップしてあの時の僕に言ってあげたいです。
「上達のためならなんだってやる、手段なんか選ばないお前が結局生き残るから気にするな」と。
僕のレッスンに来てくださる方は当然意識の低い人ではありません。
意識の低い人はお金を払ってプライドを捨てて、人から教わろうなんて考えません。
だからそこは余裕でクリアしているんですが、ただ意識高い系で終わってしまう可能性はおおいにあって、今日はそれを回避するための話です。
僕は一般的に言われている意識高い系の人に対して、「学びがうわすべっている」という印象があって勿体無いなと感じます。
つまり勉強した事が自分の血肉になっていないんですね。
たとえば教則本を1冊買って読んでみました。
そこに書いてある事を知識として手に入れて、なんだかギターに詳しくなって上達した気になってしまうんですね。
意識高い系の上、学びの鬼は違います。
①教則本に書いてある事を使って、曲やフレーズを弾ききります。
②それを録音や撮影をして、自分で演奏を確認します。
③そしていいやんって思ったら、ライブで演奏したりYouTubeにアップしたりして身内ではない他人の評価にさらします。
④その身内ではない他人の評価を聞いて、今後の練習につなげます。
これが学びの鬼、意識高い系の進化バージョンです笑
これを聞いて初心者の方にはハードルが高いと感じると思います。
でも少なくとも②撮影して自分で確認、まではできると思います。
自分で撮影して確認したらあまりの下手くそさに凹むと思います。
でもそれでOKです。
凹むからもっと練習しようというエネルギーも出てきます。
自分の演奏を撮影して確認しないと、ずっと自分が下手な事に気づかず知識ばかり増えて、ギターに詳しいけど下手なままの意識高い系になってしまいます。
僕の生徒様にはぜひ学びの鬼になって欲しいと思っています。